お父さんは サイエンスファシリテーター

お父さんは サイエンスファシリテーター

妻と子4人の6人家族。目標は、名著『ビジネスマンの父より30通の手紙』のような【書】を子ども達に残すこと!でスタートしたけれど、自分のエゴにおこがましさを感じはじめた今日この頃(笑) 小さな歩みをコツコツ積み重ね、20年後の自分が振り返った時に、幸福感に包まれるブログにしたいです。★★★「大人と子どもと科学をむすび 未来を創る」サイエンスファシリテーター。科学館で宇宙親子イベント主催。「組織の成果と個人の喜びをシナジーし 未来を創る」組織学習パートナー。組織研修ご提案。その正体は、サラリーマン★★★

「私」か「あなた」か。その文脈の主語は誰ですか?




【※私個人の意見です。】
 

 
自分という個体は少なからず
他者という集合体の中に存在します。

ゆえに、自分を省みるということは
他者との関係性を省みること
とも言えるのではないでしょうか。

これを避けてとおるのは難しいと考えます。


つまり、自分を省みる・自分を深くみつめる際に
主語が「私」という状態に固執する限りは
「自分という檻」に囚われた状態にあると思うのです。



「私」という「檻」が、自身の制御を乱し
結果、自らの環境に制限をかけてしまっているのです。


「自分はこうなんですよ。分かってください。」
「自分がいる環境が悪いから仕方がないんですよ。」

その言葉は、檻の中だけに響き渡ります。


『嫌われる勇気』の表現を借りると
"自分の課題を、他者に押し付けている"状態です。


でも、主体が「他者」に変わればどうでしょうか?


「あなたの立場も、分かります。」
「先方に迷惑は掛けられませんよね。」

そんな「他者」が主体となる勇気ある言葉。

「他者」への思いやりが、

「あなたも大変ですよね。分かりましたよ。」
「大丈夫ですよ。あなたのことは分かってますから。」

と あたたかな関係性を育むのではないでしょうか。

やがて思いやりは、あなたの元に
戻っていくのではないでしょうか。



「他者」への思いやりこそが
「自分という檻」から「自由に出入りできる」術であると考えます。


気が楽でいる状態とは、こういうことだと思うのです。


繰り返しになりますが
「他者」を省みず「私」だけを表現する言葉は
檻の中だけに響き渡り
不協和音のように自分自身を苦しめます。



なぜ、その機会を得るに至ったのでしょうか。
そこに感謝はないのでしょうか。

大人なんだから "一年前と同じ声" を浴びせても……。

あなたがマイナスからプラスに転じるために
「他者」を巻き込み あたる必要があるのでしょうか。

振り返りも結局「私」基準にみえます。
なので、閉じられた世界で "同じことを
繰り返せる"
んだと思います。

論点が噛み合うことはないでしょうし、
そのレベルでの話は「私」には必要ありません。



他者との関係性や他者への感謝を軽んじる状態は
自分自身をも大切にしていない状態である
というのが私個人の意見です。


自分の環境は自分自身がつくりだしているんです。


これは、私自身が会社で働くことを通して、得た知恵です。